昨夜僕がさまよったのは過去の街だった。いま僕が住む街の
パラレルワールド、毎日住むとなりあった場所。僕はここから
山の向こう側の煙とほこりの多いこの国のもうひとつの中心地の
ある地域に移っていき、そして何年かたって再び戻って来たのだ、
家族とともに。家族のために。おおくのものが変わり変わらなかった。
たとえば昨日の彷徨の主要な目的は善意の眼鏡店の店主に会うため、
彼は幼少期から眼鏡を手放せない僕にけっしてあらたな眼鏡を売ろうとせず
一回一回ていねいに直してくれる。そのたびに次は新しい眼鏡を
買おうと決心するのだが、昨日も踊り手を車に乗せようとして
歪んでしまった僕の眼鏡を正してもらおうと、善意が厳しい世の中でも
生き続けることを確認したくて、その店を訪れたが、
きっと僕が仲間との通信のため少し遅れた数十分かの間に
シャッターを下ろしたのだろう。
それでも、僕が過ごした(たぶんいまともう一つの)充実した
交流の、そして家族との時のdéjà-vu感覚を得るには充分だったかもしれない。
もちろんいま持っている感情はなく、もっと外向きであると同時に
内向きだった。昨日別れ際にもっとも親しい友人には「たぶん
いまこの時も(いつか)もっとも楽しかったと思えるように
なるようになる気がする」と言ったのだが、その頃はもっともっと
(もちろん若く)国籍も身分も職業も交じり合っていたし、
僕にとって特別の国であるフランスを(ある面)代表する人たちと
親しく、あちらこちらと即興的な遊びや表現や集まりや作品を
展開していたのだ?
何が変わったの?
まず僕はいま、その頃、生活の中心においていた集まりにはいない
(戻ったとは言え、その組織はもはや同じ様相を示していない、
友人たちも去った)。
再びあらたに作った集まりは(楽しく)でも僕はまだ外へは
(充分には)向かえないでいる(いつ?)(どうやって?)(誰と?)。
この梅雨の時期、かつて僕が動いたような規模、あるいはそれ以上に
この(僕の住む)町で美しい音の花火を上げることが出来た、
あらたな仲間たちとともに。彼らのおおくは(僕がいまノスタルジーを
感じている年齢に近く)かつての仲間が時を超えてよみがえったのか?
そうではなく、僕はいまほろびの時を背に、ふたたび「始めたい」と
思うにあたいする人たちだ…
さあ、過去から帰り、もう少し先の過去に向かい、(ともに)
国境を越えようか?